いろはにほへと ちりぬるを
わがよたれそ つねならむ
ういのおくやま きようこえて
あさきゆめみし よいもせず
現代に生きる私たちの 周りには 夥しい情報が存在しており 自分を中心に情報が流れており
自分はずっとここにいて 情報が刻一刻と変わっていると錯覚してはいないだろうか。
ある一つの情報というものは 発せられた後 実は変化しないのである。
私たちは常に変化し続けている。一分前の自分は 肉体的にも精神的にも今の自分とは違う。
何故このまま 今の自分が存在し続けると日常 錯覚してしまうのだろうか?
明日も いつものように朝が来て 一年後も友人は生きており 五年後も身体は動き 三十年後も『この自分の心』が在ると。
三十年後も自分は生きていると 根拠無く思う今日は 『生の躍動』の小さい 今日 なのではないかと考ます。
不変であると錯覚したり それを手にしようとした時 無常の醍醐味である『生きる自由』が その手からこぼれ落ちていってしまうように思います。
平和 勇気 安寧 は離れていってしまうように思います。
これらに対する警告として また無常の基となる『終わり』を近く感じることができるならば 豊かに生きられるのではないかという提案として この題材を選びました。
11SS テーマ『いろはにほへとちりぬるを』
いろはうたの第一節『いろはにほへとちりぬるを』を『観察』のシーズンとし 自然の変化をきっかけとし 見えてくる生き物の真実と 変化の無い執着、妄執との世界とが 対比された世界を創ることで 『無常』『不変』というキーワードについて考える シーズンにしたい。
女(Angelika)は無常の世界の理解者の象徴
男(Gerhart)は不変という概念に知らず知らず蝕まれた者の象徴